コロナ下の世界で中国に渡航し、現地採用として過ごした日々

2022-06-18

2022年ももうすぐ上半期が終わりそうですね。

早いもので、自分が中国留学に行くために退職してから3年近くになります。

3年前…

あの当時は

好きな時に好きな人と好きな場所に行き、好きなものを食べて好きなことをして、好きなように時間を過ごす

そんなことが当たり前にできる時代でしたね。

 

  

 

 

 

  

グローバリゼーション全盛の時代。

人や文物はボーダーレスに各国を行き来し、海の向こうにある世界との距離は物理的にも心理的にも縮まる一方。

インバウンドバブルに沸く浅草や道頓堀の様子は、そんな世の中を象徴しているかのようでした。

 

それが一変するきっかけになったのが、言わずと知れた2019年末頃から始まるコロナ禍です。

国をまたいで育まれたあらゆる繋がりが断たれ、これまでの日常はまるで別世界の空想のような縁遠いものになり果てました。

今では生活の多方面に何かしらの防疫措置を挟んだ制約がかかり、それがもはや当たり前になりつつある、いや、既に当たり前になっています。

コロナによって失われたヒト・モノ・カネ、そして無限大のチャンス…疫病がもたらした損失の規模は天文学的と言うほかありません。

かくいう僕も現地での留学生活を切り上げ、一時帰国と留学終了後の予定白紙化を余儀なくされました。

留学に旅立った当時の私、いや、おそらく世界の誰もが想像だにしなかったここまでの約2年半だったと思います。

まるでコロナ前の世界が遠い遠い昔のように思い起こされます。

「十年一昔」と言いますが、これを機に「三年大昔」という新語を作っちゃうのはいかがでしょうか?

それくらいの勢いで世界は大きく変わりました。

それでも世界は回り続けたし、人々の営みは途切れることはありませんでしたね。

 

そんな閉塞感漂う世の中にあって僕は何を思ったか、再度日本を飛び出して中国で就職するという道を選びました。

ビザ取得のために富山と名古屋の間を4往復し、やっとの思いで大連に到着した日の感慨深さは今でも忘れることができません。

空港からバスに乗って向かった隔離ホテル、存外に居心地がよかった客室、眼下に広がる懐かしき大連の街並み、口に合わない隔離飯、隔離直後の身体のこわ張り具合と果てしない解放感、久しぶりに飲んだタピオカミルクティー…

 

 

 

どれもこれも、なんだかんだ良い思い出です。

そしてそこから始まった約1年半の大連生活。

幸い現地では人にも環境にも機会にも恵まれ、日本に留まっていたらまず無かったであろう様々な経験と知見を得ることができました。

今年の4月13日に帰国してから早くも2か月になりますが、あの日々がくれた財産無しには今の自分は無い。そう思う毎日です。

次回からは、そんな得難い毎日を通しての見聞や考察をこのブログに綴っていきたいと思います。

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